私物国家 日本の黒幕の系図

私物国家―日本の黒幕の系図

私物国家―日本の黒幕の系図







本書は、わが国の中枢部の人脈から発生したほぼ20年間にわたる事件、
とくに数々の利権がからんだ暗黒事件を追跡したものである。


それらの事件は、政界だけでなく、その政治家を動かす霞ヶ関官僚に、
銀行や証券会社の金融界、石油・土建・電力会社に至るまで、
この国の主な産業分野がみな、からみついている。


年金消滅や税金負担、企業の倒産、
大量失業などの不安に直面せざるを得なくなった現在、
国民すべてが、最低限知っていなければならない事実。
不良債権など、日本国民が国家から押しつけられた借金は、
一家庭で1000万円を超える膨大な金額に達した。
それを生み出した原因は、歴史的人脈にあった。


一連の事件の中心人物たちは、
政治家や官僚、あるいは財界人として分類されてきた。
われわれは彼らを、
それぞれが別の世界に生きる人間とみなすよう教えられてきた。
しかし実際に、彼らが一個人として生きる家族関係は、

世に閨閥と呼ばれる無数の結びつきによって、
深い利害関係を秘めた過去の歴史から誕生したものである。
登場人物の人間関係が、20年前と変わっていないのである。

国政をあずかる政治家や官僚が、
自宅や料亭、ホテルの一室、
あるいは堂々と彼らの職務室や大企業のオフィスなどで、
トランク一杯の汚れた札束を暗黒の世界から受け取り、
そのかたわら、日本の国民から集めた税金を使いこみ、
さらにその挙句、この国全体を、
経済崩壊という末期的な事態に導いてきた。

この人間たちがつくりだした天文学的な借金を、
われわれ国民が返済しろというのである。

冗談ではない。


われわれ国民が望んでいるのは、
これらの事件をひき起こす大物の黒幕が逮捕され、
一度、闇の人脈が一掃されることである。


「共同債権買取機構」この組織は、バブル経済のなか、
銀行などの金融機関が不良の不動産担保をもとに貸し付けたために発生した不良債権を、
担保つきで買い取り、それを売却して、不動産を有効に活かす目的で、
93年1月に162の金融機関が共同出資して設立した株式会社であった。
ところが実際には、不良債権を買い取るだけで、
それを売却したのは、わずか数パーセントという実績が示すように、
まるで目的を果たしていなかった。


それでも金融機関は、この会社に売却すれば、無税で不良債権を償却できるので、
これを隠れみのにして、世間体をとりつくろうことができる。
事実上これは、銀行の倒産を防ぐための一時的なトリックであった。
国民にとって、地上げ屋暴力団たちがつくった不良債権
「共同債権買取機構」に底なし沼のように呑みこまれた瞬間、
われわれの資産であったはずの銀行預金が“不良の不動産”に形を変えて、
消え去っているのである。


それぞれの事件の背後にひそんでいる、
不思議な人間集団の個人的な結びつきをつきとめ、
その謎を解き明かさない限り、
当事者たちは、まったく批判を痛く感じることなく、
うまく逃げおおせて、次の事件のとりかかる。


国民が日本国内の事件に目を奪われて気づかないあいだに、
これらの事件のため、わが国は、
すでに国際社会で国民ぐるみ信用を失いつつある。

若い世代は、将来に希望を語る者がみるみる減少し、
精神的に、どこか自暴自棄に陥りつつある。

かなり多くの人が終末的な予感を覚えるのは、
根拠のないことではない。


わが国の、実際に国民が負担しなければならない借金は、
地方財政、国家財政、隠れ借金などを合計すると、

国民一人当たりの負債額は、416万円である。

もちろん、赤ちゃん、老人も含めての平均金額である。
大部分の庶民にとって、預貯金だけが使える財産である。

国民一人当たりの平均預貯金額、510万円から、
これから国に収奪される借金416万円を引くと、
一人当たり94万円しか残っていないことになる。
国の借金は、国民一人当たり400万円を超えているのだから、
4人家族では1600万円以上の借金を、
これから国に強奪されようとしている。

この金額が、これから激増することは、断言しておいてよい。


とんでもない人間集団に、その大金が流れ込むように操作されてきた。

どのように言い訳しても、
彼らが集団的な家族を形成していることは、
これから次々と証明される事実である。

いま日本全土に進行しているのは、

莫大な“増税”であり、
続発する“倒産”であり、
大量の“首切り”である。
アカウンタビリティーは、“闇取引の告白”である。
VIP口座は、“特権者口座”である。

一連の事件を渡り歩く「個人と個人の密接な結びつき」は、
実は、新聞とテレビなどで、断片的に、控えめながら語られてきた。
雑誌では、そこにかなり主力をおいて追求がなされている。
人間の欲望という“事件の動機”から考えて、
控えめに語ってはならないことである。


むしろその部分を中心にすえて語らなければ、
真相に近づいて、日本を変えることは不可能と思われる。
事態は、そこまで切迫しているのである。


わが国は、相次ぐスキャンダルによって泥まみれになってきたが、
この最終的な責任が、本書で批判する官僚や政治家や実業家だけにあるのではない、
という認識をわれわれ自身が持たなければならないほど、厳しい時代に入ってきた。