人間を幸福にしない日本というシステム

人間を幸福にしない日本というシステム

人間を幸福にしない日本というシステム








菊と刀』に匹敵する名著と評され、
官僚批判の火付け役となった
『日本/権力構造の謎』につづき、
本書では「政治化された日本」等の新概念で
日本のリアリティーにさらに深く斬り込む。

日本人は「知る者」と「知らざる者」の二つにはっきり分けられている。
普通の人々には「もっともらしいウソ」だけが与えられる。
真実はエリートだけが知っている。
自己検閲は日本のマスコミ人の第二の天性になっている。
恐怖心が彼らを支配している。
日常の会話では自分の意見をはっきり言う。
しかしそれは決して紙面に出ない。
日本で民主主義はいまだ実現していない。
それは可能性にとどまっている。
日本人が現実だと思っていることはほとんど幻想だ。
幻想はただ現状維持にだけ役立っている。
日本女性の劇的な晩婚化・少産化傾向は何を意味するか?
彼女たちは、経済的成功と秩序維持のために人間の幸福を犠牲にする、
この社会からの脱出をはかっている。
政治家は悪玉、官僚は善玉、という図式こそ最悪だ。
日本の人々は意図的にそう思わされてきた。
あなたもまだそう思っているなら今こそ目を覚まして欲しい。
そして、新聞はもう人々を偽るのをやめなさい。
私は「西欧中心主義者」だと批判される。それは誤解だ。
そして、そういうレッテル貼りで知識人たちは議論を逃げている。
学問の世界で流行の「文化相対主義」は一つの罠だ。
「この人生はどこかおかしい」と多くの日本の人が感じている。
それはなぜか?

居心地の悪さを感じている人の数は、実際、驚くほど多い。
そしてこの不満は、あらゆる世代、ほとんどの階層に広がっている。


その不満の原因は、人間だれしもがしょいこむ個人的問題や
家族にまつわる厄介ごとだけではない。
周囲の社会の現実も、何かモヤモヤとした不満の原因になっている。

なぜ、この国には学校嫌いの子供がこれほど多いのか?
なぜ、この国の大学には、表情が暗く、退屈そうで、
何の理想もないとすら見える学生がこれほど多いのか?
なぜ、この国の女性は世界一晩婚なのか?
そして、なぜ結婚しないと決めてしまった女性の数も驚くほど多いのか?
また子供を産まないと決めた女性も多い。なぜか?

これらの現象は、世界でも日本にだけひときわ目立つ現象だ。
この国の人々の、顔に貼りついたような笑顔や不自然なはしゃぎかたの下に、
その素顔を垣間見てしまった外国人には、
この国は「うちひしがれた人々の国」だとわかる。

悲劇は日本の社会の根本的なゆがみから生まれている。

この国のどこがおかしいのか?
なぜ、「富める国の貧しい国民」という事態がこの社会に生まれたのか?
男性であれ女性であれ、この国の個々の人々がよりよい人生を見出すために何をすべきか?

より良い人生を生きるために、あなたは日本の変革に手を貸すべきだ。

「市民の立場」(シチズンシップ)という概念
市民とは政治的な主体だ。
市民とは、身のまわりの世界がどう組織されているかに自分たちの生活がかかっている、
と、折にふれ、みずからに言いきかせる人間だ。

市民にとっては、自分が現にどんな状況に置かれているのか、
その現実(リアリティ)を知ることが決定的に重要だ。
変えるべき当のものを正確に知らなくては変えようもない。

「偽りのリアリティ」という概念。
これは、単なる誤解のことではない。
「偽りのリアリティ」にはもっとずっと根が深くて気づきにくい性質がある。
それは、事態の誤った説明がつづくかぎり存在しつづける「現実」なのだ。

偽りのリアリティは、大多数の人に、たいへんもっともらしく見える。

一見つじつまが合っていると思わせるからだ。


日本は独裁国家でも全体主義国家でもない。
しかし、偽りのリアリティという幻想が、政治・経済問題にからみ、
日本のいたるところで深く根を下ろしている。

日本の民主主義(デモクラシー)はまだ実現していない。
それは可能性(ポテンシャル)にとどまっている。

日本の今日の皆さんの生活を実質的に決定している基本的事実は、
ほとんどの方に充分理解されていない。

もしあなたがものごとの仕組みを知っており、
いま何が起こっているかも知っていれば、
他人への依存からあなたをより自由にするこの真理を、
すぐにでも行動で実証できる。

明らかに、正確な情報を多くもっている人は、
対人関係で格段に有利な立場に立てる。
反対に、知識が少なかったり、誤った知識しかなければ、
その人は格段に不利になる。

無知な公衆ほど政府からよりたやすく操られたり、だまされたりするだろう。

いつの時代でも、世界中どこでも、支配者や政界のボスたちは、無知な公衆、
支配者やボスたちの意図と手法を知らされないよう保たれてきた公衆を、好んできた。
だから、公衆の統制(コントロール)にこそとくに力を入れるべきだと考える政府は、
秘密主義になる。


このような政府は、公衆があれこれと質(ただ)しはじめるのを毛嫌いする。
すべてのことをよく理解している公衆は、
既成の権力者にとって政治的な脅威になるのだ。


徳川時代の支配者は、このことをよく理解していた。

「民は知らしむべからず、依(よ)らしむべし」
 (人民には情報を与えるな。ただお上の威光に従わせろ)

一般の人々はあい変わらず無知のまま保たれ、幻想だけがばらまかれているが、
それは日本では秘密主義が、いまなお権力行使の重要な技法だからである。

秘密主義は日本の官僚独裁主義を成功させる必要条件なのだ。

日本の官僚は支配階級に属している。
そして彼らが権力を振るえる理由の一部は、
普通の人の知らないことを知っているという事実に由来する。


官僚たちは、
知識人や編集者や他の高い地位にある人たちとのさまざまな同盟関係を組み、
この支配階級という少数派の一部を形成している。

この支配階級の人々は情報に精通している。
隣人である普通の人が知らないことを知っている。

社会やそのなかの階級にまつわる日本人の大衆的イメージでは、
無知な状態が称えられさえする。


「ナイーブ」と日本人が言うとき、そこにはナイーブであることを
積極的に評価する意味が含まれている(ナイーブだと人を褒めることすらできる)。
日本以外では、ナイーブだと思われた人は軽蔑されたと思う
(少なくとも残念がる)のが普通だ。

バブル経済」などの出来事は、
官僚による権力行使がもっと明るみに出されていたなら、
そもそも起こりえなかったことである。