デフレの恐怖
- 作者: ロジャーブートル,Roger Bootle,高橋乗宣,白石浩介,森田碧,佐野玉雪,浜矩子
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 1997/12
- メディア: 単行本
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歴史的解釈に基づく、未来論
インフレ時代からゼロ・インフレ時代へ!
社会の既存基盤を覆すに通貨を堕落させる以上に 巧妙で確実な手段はない。 このことによって、経済法則の隠された力は、 100万人の民の誰一人に見究められることなく、 ことごとく壊滅に追いやられる。 ・・・J・M・ケインズ
世界は、100年に及び様々な危機と交易の低迷を生み出す 価格水準の周期的変化に悩まされてきた。 変動的な通貨基準の害悪こそは、 文明が直面する最も深刻な経済的害悪だと いってもいい過ぎることはない。 ・・・アービン・フィッシャー
1995年、日本の当局関係者の眠りを奪ったのは
デフレの恐怖であった。
土地価格は1991年から96年まで下降し続け、
東京証券取引所の株価指数は
90年の4万円近くの高値から
95年半ばに15,000円を切る下値を付けるまで下落した。
1996年12月の卸売物価指数は、
90年のそれを7%ほど下回っていた。
消費者物価上昇率もまた、、劇的に下落した。
1995年には、非効率でかつ価格に鈍感な流通システムにもかかわらず、
店先の価格はほとんど上昇していない。
もし流通システムが低価格を完全に消費者に還元していたとすると、
日本において持続的な消費者物価デフレが確認されていたに違いない。
このインフレの下落は、金融システムを絶望の淵に、 不動産市場を衝撃のただ中に、 株式市場を溶解の狭間に陥れ、 銀行システムを祈りを唱えながらの片肺飛行で かろうじて維持するというありさまで、 日本経済をほとんど惨澹たる状況に陥れたのだ。
それどころか金利を0.5%に引き下げたことで、
当局の従来型の金融政策は、
95年末までに限界に達してしまったといえるのである。
偉大なる経済学者J・M・ケインズの後継者たちが賛美するような
方策がいくつか講じられた。
もし景気がデフレの兆候を呈したならば、
先進諸国のほとんどの政府は、
ケインジアンの対策を取ることにとらわれざるを得ないだろう。
世界の七大経済国、G7と称される国においては、 インフレは崩壊している。
多くの国においてもその前方にデフレの危険があり得る。
先進諸国は、公表されていた数値以上に、
実際には価格下落に近づいていた。
インフレの好評数値というのは 本来のインフレを過大評価している。
1994年〜1995年に、先進諸国のほとんどの地域には
実質的なインフレはまったく存在していなかったことを意味する。
技術革新、労働組合の弱体化、競争環境の激化、
労働形態そのものの変化といった多種多様な圧力のもとで、
賃金はもはやかつてのようには上昇しないのである。
賃金インフレのないところでは、 継続的な価格インフレは存在し得ないのである。
すべての政策担当者が目標とし望んでいるのが、 最小インフレである。
皮肉な見方をすれば、ありとあらゆる人々が期待、希望、
あるいは計画するがために、最小のインフレ、
いわば居心地のよいインフレなどは起こりえない。
われわれが歴史から学んだのは、 このような希望を妨げる「何か」が起こるということである。