「サムライ」、米国大企業を立て直す!!

目次

はじめに 海を渡って大成功した「サムライ」
第1章 可愛い悪童には旅をさせろ?―2・26事件の日に生まれたわんぱく少年
第2章 飛行機野郎の原点、ここにあり―川崎重工日本航空機製造時代
第3章 YS‐11のことなら俺にまかせろ!―アメリカ・ピードモント航空派遣時代
第4章 負け犬になるな!―ピードモント航空に入社、裸一貫からの再出発、そして副社長に昇進して大改革!
第5章 俺たちの辞書に倒産はない―コンチネンタル航空、奇跡の蘇生術


出版社/著者からの内容紹介
単身渡米、成功した米ビジネス界の「サムライ」!
「出る杭」は、日本企業に合わず、単身米国へ。実力本位の世界で頭角を現し、倒産寸前のコンチネンタル航空を“Working Together”をモットーに、「リストラ」なしの再建をなしとげた秘密は!?



内容(「BOOK」データベースより)
「出る杭」は、日本に合わず、米国へ。“Working Together”をモットーに、「リストラなし」でコンチネンタル航空を再建。

内容(「MARC」データベースより)
「出る杭」は、日本に合わず、米国へ。実力本位の世界で頭角を現し、倒産寸前のコンチネンタル航空を「リストラ」なしで再建! 裸一貫からアメリカン・ドリームを実現した、コンチネンタル航空元上級副社長・鶴田国昭の軌跡。


著者について
 1936年東京生まれ。国際化時代を予見し、中学時代から本格的に英語を勉強。19歳で親類の反対を押し切り父親に。苦労の末に川崎重工に入社、そこで独学で飛行機を学ぶ。その実力、英語が認められ日本航空機製造に出向、海外で誰よりもYSー11のプロダクトサポートに従事する。 74年に帰国した著者は、川崎重工を退職。30歳半ば過ぎて空手空拳で渡米する。ピードモント航空(社員約2万人)の一介の平社員(手取月給は約700 ドル)から這い上がり、副社長に就任する。同航空のあったノースカロライナ州アメリカの南部。トップマネジメントに日本人を採用するなど前代未聞の出来事だった。 ミッドウェイ航空の上級副社長を経て、94年に倒産寸前のコンチネンタル航空の上級副社長に。ゴードン・ベースン会長の片腕となり、同社の奇跡の復活に多大な貢献をする。 川崎重工、YSー11のプロダクトサポートを通じて得た飛行機に関する知識は、エアライン関係者のなかで著者の右に出る人間はいない。業界に先立って飛行機の安全点検、整備方法を一新。それを如実に物語っているのが、03年から04年にかけて世界各地で問題となったMD80シリーズのエンジントラブルだ。多くのエアラインが打撃を受けたが、コンチネンタルでは、1機もトラブルがなかった。著者のもとには、ボーイングの技術者までもが飛行機を学びにくるほどだ。 そんな著者は、アメリカの航空業界で「タフでフェアーな男」の異名を持つ。日本ではYSー11が生産中止となり、いまだにYSー11に続く民間旅客機は誕生していない。だが、その遺伝子は途絶えたのではない。日本の飛行機野郎は海を渡り、アメリカの航空業界で大暴れをする。