ビーイング・デジタル ビットの時代
- 作者: ニコラス・ネグロポンテ,福岡洋一
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 1995/11
- メディア: 単行本
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すべてのメディアはビットになる!
アトム[物質]からビット[情報]へ。
現在急速に進行しつつある第四の革命=デジタル革命は、
社会構造を根本から変えてしまう。
既存のメディア・・・テレビ、新聞、電話、出版・・・
はどう対応すべきか?
人々のライフスタイル・・・職場、学校、家庭・・・
はどう変化するのか?
日本という国に、デジタルなあり方となじみにくい面がある。
・・・デジタル・ワールド・・・では、
個人が個人であることが奨励される。
「ザ・ネット(インターネット)」はグローバルに広がって、
民族国家の持つ意味はますます薄らいでいる。
個人でいることは簡単だし、
それも限られた人たちだけの特権ではない。
もはや世界は長老たちの支配下にはないのだ。
伝統は創造性にとって有利な条件ではなく、妨げとなる。
子どもを間違った競争に駆り立てて個性を殺してしまうような教育は、
もうそろそろ終わりにすべきだろう。
あなたが仕事をし、生きてきた道は、本当に正しかっただろうか?
道は一つではなく、ほかにもあるはずなのだ。
日本はわたしの知っているどの国よりも画一的なところがある。
デジタル化はそれを改めるいい機会なのだ。
日本人がいかに非効率かを知る西洋人はあまりいない。
労働時間は長いけれど、
息抜きや無駄話に費やされる時間もけっこう多い。
遠くから通勤していても車内で仕事をするわけではなく、
たいてい居眠りしている。
コンピューティングはもはや
コンピュータを扱うことだけを意味するのではなく、
人が生きることと関わりを持つようになった。
われわれが互いの相互接続を推し進めるにつれ、
民族国家的な価値の多くは色褪せてしまう。
われわれはデジタル世界の隣人たちと 交流を深めるようになるだろう。
そこでは物理的空間は重要ではなく、
時間の果たす役割も通常とは異なっている。
重役や政治家や親たちなど、このとんでもなく新しい文化を 理解することがいちばん必要な人たちの手に、 デジタル・メディアが十分行き渡っていない。
双方向のマルチメディアというものは、 想像力を働かせる余地をほとんど残さない。
これと対照的に、書かれた文字はイメージをひらめかせ、
メタファー(隠喩)を喚び起こす。
あなたの人生にとって デジタルであることが何を意味するかを感じ取り、 理解するためには、個人的な想像力が必要だと思う。